go deeper logo
ダイビングを深化する
ニュース

SSI、資格停止 ―― 業界が二つに割れるとき、日本はどこに立つのか

スキューバダイビング指導団体SSIのロゴ

2026年6月24日、WRSTC(世界レクリエーショナル・スクーバ・トレーニング・カウンシル)のウェブサイトが更新された。米国評議会RSTCの会員リストから、名前がひとつ、消えていた。

SSI。世界最大級のダイビング指導団体であり、1987年の米RSTC設立に名を連ねた創設メンバーである。発表はなかった。39年の関係の終わりを告げたのは、ウェブページの静かな書き換えだけだった。

数日後、SSIが沈黙を破る。全世界のプロ会員に宛てて、「事前の通告なく除名された」。米RSTCは短く応じた。除名ではない、所定の手続きに基づく「資格停止」である、と。

言葉の応酬はニュースになった。だが本当に奇妙なのは、発火点のほうだ。両者が衝突したのは、たった一枚の文書 ―― 資格階層でもっとも地味な等級を定めた、2002年制定の「アシスタント・インストラクター基準」。SSIはこれを現行の国際規格に合わせて更新しようと提案し、その結果として、消えた。

創設メンバーとの39年を、業界最下級の資格書一枚で燃やす組織はない。導火線がこれほど細いなら、火薬は別の場所に、しかも大量にあったはずだ。

その火薬を、これから掘り当てに行く。先に言っておく ―― これは遠い国の内輪もめではない。掘り進めた先には、日本のダイビング指導の足元が、そしてあなたのCカードの将来が、埋まっている。

床を作った者たち

レクリエーションダイビングは、ほとんどの国で国家が免許を出さない世界だ。この空白を埋めてきたのが、業界の自主規制である。1987年、PADIやSSIをはじめとする米国の主要指導団体が集まってRSTCを設立し、加盟全社が守る「最低指導基準」を定めた。どの団体も、この床より下には降りない ―― そういう相互協定だ。団体の違うCカードが世界中で通用するのは、この共通の床のおかげである。1997年には米国・カナダ・ヨーロッパ・日本の4評議会を束ねるWRSTCが発足した。

一方2007年、もう一人の登場人物が現れる。ISO ―― A4用紙からクレジットカードの寸法まで、あらゆる国際規格を定めてきた世界最大の標準化団体が、レクリエーションダイビングの規格を承認した。ダイバー等級のISO 24801シリーズ、インストラクターのISO 24802シリーズ。策定には世界中の指導団体が関わり、規格はいまも定期的な見直しが続いている。

つまり、ダイビングの「世界基準」は二系統ある。業界が自分で作った床と、国際規格の床。二つは20年近く静かに共存し、どちらが上かを、誰も正面から問わなかった。

2026年2月、SSIが問うた。

一枚の規格書、二つの設計思想

提案自体は、事務的に見える。2002年制定のまま止まっているアシスタント・インストラクター基準を、ISO 24802-1(2014年制定、2024年見直し確認済み)と整合させる ―― それだけだ。だが二冊の規格書を並べると、これが「更新」で済む話ではないと分かる。

RSTCの2002年基準が定めるのは、その名の通り「助手」である。認定要件は、健康診断、書類、コース1本の補助、プレゼンテーション3回の「実施」、救急訓練、通算70時間、ログ上の60本 ―― 以上。試験はない。合格基準もない。評価表もない。数えているのは時間と本数、つまり、そこに居た量だ。そして認定後の役割も、名前のままだ。アシスタント・インストラクターは常にインストラクターと共に働き、その指示の下でのみ教える。原則は「直接監督」―― 目視で観察され、水中では同伴される。単独でできる仕事は、ほぼない。認定されても、永久に仮免である。

ISO 24802-1は、逆立ちしている。定めるのは「助手」ではなく「レベル1インストラクター」―― 制限付きとはいえ、独り立ちした教え手だ。資格の定義そのものが「評価に基づき、適格と判断された者」。規格の丸ごと一章が「評価」に充てられ、総講習時間の定めは存在しない。何時間かけたかではなく、何ができると証明されたか。そして証明を通った者には、限定された自律が与えられる。体験ダイビング、リフレッシュ講習、チェックダイブ、一部のスペシャルティ ―― こうした小さな認定は単独で教え、カードの発行まで担える。オープンウォーター講習の学科とプールも、インストラクターの「間接監督」(責任者はいるが、常にその場に立つわけではない)のもとで受け持てる。ただし、ダイバーの入り口であるオープンウォーターの認定そのものは、レベル1には出せない。それは、上位のインストラクターの仕事として残る。

SSIの賭け ―― なぜ床を動かしたいのか

規格の潔癖症、ではない。ISO 24802-1を軸に据えたSSIの路線は、現代のダイビング市場が抱える制約を正面から解こうとする、きわめてビジネス志向の進化である ―― 支持者は、そう見ている。恩恵の届く先は、二つある。

一つは、ショップとリゾートだ。ダイブツーリズムの現場は、季節労働と人の入れ替わりで回っている。体験ダイビングやリフレッシュ講習といった日々の小さな仕事のために、希少で高コストなフルインストラクターを常に貼り付けておく ―― この構造が、世界中のダイブセンターの人繰りと採算を圧迫してきた。評価を通ったレベル1がそれらを単独で担えれば、上位のインストラクターは本来の仕事 ―― ダイバーの認定 ―― に集中できる。

もう一つは、プロを志す側だ。独り立ちして教えられる資格、すなわちフルのオープンウォーターインストラクターに届くまでには、長い時間と、集中的な試験と、安くない費用がかかる。その手前に「教えて稼げる中間層」を作る ―― 助手を、教え手に変える。候補者はキャリアの早い段階から教育者として収入を得ながら上位を目指せるようになり、プロへの道が経済的に成立しやすくなる。高齢化が進む業界に若い人材を呼び込む、人材戦略でもあるのだ。

ここまで聞けば、合理的な経営改革の話に聞こえる。ヨーロッパ評議会も、そう扱った ―― 2026年2月に提案を受け取ると検討に入り、同年10月1日リリースの基準改定に反映すると、期日を切って回答した。米国評議会は、返事をしなかった。賛成も、反対も、対案もなく。そして提案から4か月後の6月24日 ―― 沈黙の答えが、冒頭の、あの静かな削除だった。

合理的に見える提案に、期日つきの合意と、無言の処分。この落差の裏にあるものが、火薬だ。

第一の火薬 ―― 誰が決めるのか

米RSTCの声明には、読み流せない一文がある。ISOとWRSTC基準は目的が異なり、互換ではない。ISO認証は任意であり、評議会基準の遵守を免除しない ―― 煎じ詰めれば、こうだ。

ISOが何と言おうと、ここでのルールは我々が決める。

SSIの世界観は正反対である。2008年から第三者によるISO認証を維持し、国際規格との整合を事業の背骨に据えてきた同社にとって、ISOは一業界の私的な取り決めの上位にある、唯一の世界共通言語だ。四半世紀前の地域ルールを盾に更新を拒む評議会は、その目には、業界を後ろへ引く錨に映る。

つまり最初に衝突したのは、基準の中身ではない。主権だ。「世界基準」の玉座に座るのは国際規格か、それとも1987年にアメリカの業界が自分たちのために作った評議会か。アシスタント・インストラクター基準は、この主権争いが最初に火を噴いた国境線に過ぎない。

第二の火薬 ―― プロとは何か

だが、SSIの言う「進化」を、業界の全員が歓迎しているわけではない。主権の戦争の一段下で、もう一つの戦争が燃えている ―― プロの定義をめぐる戦争だ。

伝統派の批判は苛烈である ―― これは教育の工場化だ。経験の浅いプロに認定権限を配れば、量産されるのは「認定数」であって「ダイバー」ではない。安いから任せるのであって、任せられる腕だから任せるのではない。安全より回転率を取る道だ、と。

推進派は返す ―― 権限は評価の対価だ。厳格に証明させた者に任せるのは工場化ではなく、まともな資格制度の当然の姿だ。時間を数えるだけで評価を持たない旧基準こそ、質を保証していないではないか、と。

どちらが正しいのか。意地の悪い答えを書いておく。

両方とも、同じ制度の正確な描写である。 評価が本物として運用されれば、推進派の未来が来る。形だけに堕ちれば、伝統派の悪夢が来る。同じ規格書が、運用ひとつで救いにも工場にもなる ―― この一点は、日本の話で決定的に効いてくる。

静かな離婚

2026年、二つの火薬に同時に火がついた。ヨーロッパ評議会はISOの側に立ち、米国評議会は、議論の代わりに提案者を消した。沈黙の理由に公式な説明はない。ただ、「合格を要求しない2002年基準」を公開の場で守り抜く弁論が容易でないことは想像がつく。そして、SSI亡きあとの評議会の顔ぶれ ―― 一強はPADI、NAUIの名もすでにない ―― を眺めて、いまの床のままで最も都合がいいのは誰かと考える人間を、止めることは誰にもできない。

確かなのは、結果だ。大西洋の両岸で、業界は別々の「世界基準」の下で生き始めた。アメリカ型の評議会統治と、国際規格に開かれたヨーロッパ型ISOモデル。もはや、一枚の基準書をめぐる意見の相違ではない。業界の地図に引かれ始めた、国境線である。

日本 ―― 第三の議席

この地図の上で、日本はどこに立っているのか。答えは ―― 居心地の悪い場所、である。

血統で言えば、明快だ。WRSTCの日本評議会にあたるCカード協議会(一般社団法人レジャーダイビング認定カード普及協議会)は、採択する最低指導基準を米国RSTC基準に基づいて作成したと、自ら説明している。日本のレジャーダイビングは、生まれからして、アメリカ陣営なのだ。

ところが、産業国家としての日本は、世界有数のISOの国である。工場の壁にはISO認証が掲げられ、JISは国際規格との整合を原則とし、「ISO準拠」の一言が品質の代名詞として通用する。現行の国際規格より四半世紀古い、外国の業界内規のほうを優先する ―― そんな選択が黙認されている産業は、この国では、ダイビングくらいのものだろう。

しかも、世界に評議会は四つしかない。ヨーロッパが動き、アメリカが背を向けたいま、日本の一票は、業界の地図を塗り替える重さを持つ。ヨーロッパに続けばアメリカ型統治は孤立し、アメリカに残れば分裂は太平洋を境に固定される。日本は傍観者ではない。事実上のキャスティングボートだ。そして沈黙もまた、一票である ―― 現状維持という名の。

では、Cカード協議会は、このまま沈黙していてよいのか。

恩恵の側では、ISO型のプロは、日本の現場の慢性の病 ―― 人手不足 ―― への直接の処方箋になり得る。若手は育たず、定着せず、繁忙期の体験ダイビングは常に人繰りとの戦いだ。評価に合格したレベル1が、体験ダイビングを単独で回し、講習の学科とプールを受け持てるなら、ショップの経営は目に見えて楽になる。

だが、罠がある。ISOモデルは、権限と評価がセットで初めて成立する。能力を証明した者に相応の裁量を委ねる ―― 理屈は明快だ。問題は、その「証明」が、どこでも同じ密度を持つとは限らないことにある。誰が評価し、どの物差しで合否を分け、その水準が国や現場をまたいでも一貫しているのか。権限という自由が広がるほど、評価のばらつきが生む影も、また深くなる。

もう一つは、責任の所在だ。教壇に立つのはレベル1、承認を下すのは上位者、管理を担うのはショップ、基準を引くのは指導団体。万が一の際、最終的な矛先はどこへ向くのか。旧来のインストラクター至上主義は、硬直的である代わりに、責任の輪郭だけは鮮明だった。評価が揺らぎ、責任の線までぼやけてしまえば、人手不足の解消は、能力の証明ではなく単なる責任の切り下げに変わりかねない。

この袋小路を抜ける道は、決して平坦ではない。だからこそCカード協議会には、海の向こうの顔色を窺う「追随」ではなく、この国の針路を自ら描く「主導」が突きつけられている。

直視すべきは、日本のダイビング教育体制がすでに傷を負っているという現実だ。海外のダイビングサイトでは、日本で発行されたカードが単体では技量の証左と見なされず、ログの精査や実技の再確認を求められる事態が静かに進行している。伝統派が危惧する「工場化」という悪夢は、ISOがもたらす未来の懸念ではない。検証を欠いた現行の枠組みのなかで、すでに内側から蝕み始めているのだ。

その一方で、現場の疲弊は限界に達している。硬直した権限縛りがショップの体力を奪い、形骸化した評価がカードのブランドを失墜させる。質の担保と産業の存続 ―― 本来不可分であるはずのこの二つを、同じ天秤の上で解き明かさなければならない。

いま、協議会が差し出すべきは、他陣営への加担ではない。日本のCカードへの信頼を根底から立て直し、同時に現場の生業を成立させる、新たな「日本の床」の提示である。

問いは、国境を越えて

SSIが復帰するのか、決別するのか。それはもう、本筋ではない。アシスタント・インストラクター基準は導火線であって、火薬ではなかった。火薬は最初からそこにあった ―― 誰が決めるのか。プロとは何か。業界はひとつのままでいられるのか。

10月1日、ヨーロッパの床が動く。その日、二つの床の段差が、初めて実務の世界に姿を現す。

日本の答えは、まだない。だが、協議会が黙っている間も、明日も講習は開かれ、明日もカードは発行される。そのカードがどちらの世界の住人になるのか ―― その議論は、この国では、まだ始まってさえいない。

だから、業界より先に、あなたが考え始めればいい。次にログブックを開いたら、判子と本数の列に問うてみてほしい。これは、何の証明なのか。この一枚は、どちらの床の上に立っているのか。

コメント(0)
コメントする
コメントする

「SSI、資格停止 ―― 業界が二つに割れるとき、日本はどこに立つのか」にコメントする。